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チェルノブイリ、日本への警告

「チェルノブイリ、日本への警告」
ワシントン・ポスト、2011年4月3日
At Chernobyl, a warning for Japan
By Will Englund, Sunday, April 3 , 9:05 PM


チェルノブイリ(ウクライナ共和国) 冷たい鉛色の空の下、近寄りがたい威容を示す廃棄された原子力発電所の跡、しかしそこでは今でも多くの人々が働いている。

25年前の今月(4月)、ここで起きた原子炉の爆発事故(史上最悪の原子力発電所事故)は、この国全体の人々に、今日もなおのしかかる大きな重荷を課すことになった。それは今後、日本を待ち受けている事態のモデルでもあり、警告でもある。今、福島で起きている危機は、いずれ収束に向かうであろう。しかし、まさにその時点から、出口の見えない国家的プロジェクトが始まることになるのだ。

チェルノブイリでは、タービンの運転こそ停まっているものの、25年前と同様に大きなクレーンが原子炉棟のそばにそびえ立ったままになっている。あまりに高濃度の放射線に汚染されていて、移動させることができないのだ。だからといって、しかし、ここはゴーストタウンではない。新設された停車場に列車が到着する。あたりには青い屋根の作業場が点在している。残された施設全体に熱湯を供給するために新たに建設された、ガス燃料によって稼働する加熱プラントの煙突から絶え間なく水蒸気のけむりが立ち昇っている。

現在、施設の廃棄措置とその管理作業を続けるために、汚染浄化エリア内で約3000人の人々が働いている。これに加えてさらに4000人が、ここから半径19マイル(30km)以内のエリアに設けられた避難区域のセキュリティ要因として配置されている(ちなみに福島では現在のところ、避難区域は半径20kmに設定されている)。これらのセキュリティ要員の任務には、汚染を広めないために延々と続けられ、決してやむことのない、様々な作業の中の一部、用水管理や森林火災対応なども含まれている。

そしてその避難地域の外側には、広大な避難者たちのコミュニティが広がっている。当時現場で働いていた作業員たちとその家族、村の農民たち(多少汚染されはしたが、居住可能とされている村の農民。ただしその人口は年々減ってきている)。それら生存者たちの多くは健康を害していて、彼らが得るにふさわしいと信じる手当とサポートを、無慈悲な政府に対して要求する戦いを続けているのだ。

事故当時、チェルノブイリ原子力発電所の主任エンジニアで、現在は様々な被害者支援団体の上部組織である「チェルノブイリ・ユニオン」の代表をつとめる、ユーリ・アンドレイエフ氏は次のように言う。「日本の原発事故の後始末のために働く作業員の人たちが、当時の我々のようにではなく、もっともっと大事に扱われるように、心から祈っているよ」

細かく見て行けば、チェルノブイリで起きた災害は福島で起きているものとは様々な点で異なっている。チェルノブイリの事故は、津波によってではなく、まったくお粗末な手順で行われた試運転が原因で起きた。チェルノブイリでは黒鉛による火災が10日間もの間続き、大気中に大量の放射性物質を撒き散らすことになった。福島の原発はこれとは異なるタイプのものなので、このようなことは起こり得ない。

しかし日本にとって、チェルノブイリの経験が重大な意味を持つのは、まさにこれから、一体どのようなことが起こるのかという点についてである。汚染の広がりの度合いはチェルノブイリに比べて小さいかも知れないが、これから先の福島は、日本国民全体に対して、現時点では予測不可能な次元の覚悟を要求することになるだろう。

定年退職するまでの長い間、チェルノブイリの原子炉第4号機を閉じ込めるために作られた「石棺」の維持と管理を担当していたグリゴリー・パンチャック氏によれば、「家内はいつも言うんだ。あんたは、自分の住んでいるアパートのことよりも『石棺』の方が詳しいってね」

パンチャック氏はチェルノブイリからDnieper川を渡った先にあるSlavutychという、事故後に新たに建設された居住区に住んでいる。ソ連末期の典型的な町づくりの様式を踏襲したその居住区では、風の吹きすさぶ飾り気のない中央広場に、お決まりの戦争の英雄たちを称える像のほかに、1986年4月26日の大爆発で亡くなった30人の作業員たちの像が設置されている。

Slavutychに住んでいる人たちは、チェルノブイリまで列車で通勤する。途中、彼らは広大な冷却水の溜め池の横を通る。この池の沈殿物は極めて危険なレベルにまで汚染されていて、これら沈殿物が露出しないよう水位を維持するために、24時間365日、ポンプがフル稼働している。彼らはいずれそのうち、この場所でまた新しい「石棺」が出来上がるのを目にすることになるだろう。

パンチャック氏は笑顔を絶やさない、しかし不幸せな男だ。健康上の理由で働くことができない。年齢は60歳だ。元チェルノブイリの作業員として、本来受け取れるはずの障害者年金(甲状腺障害にともなう)は満額支払われているわけではない。そこで彼は、同じような不満をもつ他の何千人もの元チェルノブイリ労働者たちとともに、政府に彼らの要求を認めさせるべく、裁判所に訴えている。

一方、政府側はこのような要求に応じようとはしていない。そんなお金はないと言うのだ。あの事故で避難させられた避難区域内の住民の数は、約13万人である。少なくとも理屈の上では、これらすべての避難民に対して何らかの救済措置がとられてしかるべきと言えるだろう。そしてもちろん、この事故の発生後、様々な緊急対策や後始末のための仕事に従事した作業員に対しても、また、避難区域のすぐ外側に住む住人に対しても、同じことが言えるはずだ。

「いずれにせよ、いつの日にか、我々はみんな死を迎える。それで一巻の終わりというわけさ」

たとえお金が問題でなかったとしても、それ以外の現実は変わらない。どこかで線引きは行われなければならない。毎年定期的な健康診断が欠かせないし、加齢にともなう自然な衰えと、放射線の被ばくによる影響を区別しなければならない。そもそも最悪の問題は被ばく直後に現れるとは限らない。隣国ベラルーシで最も急激に甲状腺がんの増加がみられたのは、原子炉の爆発後、20年近く経ってからのことだった。

パンチェック氏は、日本人ならば、必ずや事態をもっと適切に処理するだろうと信じている。政府はきちんと約束を果たすだろうし、被害を受けた人々が彼らの当然の権利をはく奪されてしまうようなことは起こらないだろう、さらに、汚職や腐敗が制度全体を捻じ曲げてしまうようなことなどは、日本では起こらないだろうというのだ。

マリア・クリボラポワ(61歳)はチェルノブイリの近くにあった銑鉄工場で働いていた。彼女の夫、ミハイルは原子力発電所で働いていた。事故の直後、消火作業に使うための砂をヘリコプターに積み込む作業に従事し、作業員たちのための食事の世話もしていた。ヘリコプターのパイロットたちは、当時ソビエトが戦っていたアフガン戦争の戦地から急きょ送り込まれたパイロットたちだった。あるとき、彼女は何人かのそうしたパイロットを乗せたヘリから、一人のパイロットがよろめきながら嘔吐して、そのまま地上にまっさかさまに落ちて行くのを見たという。

そして、その8日後に、避難命令が出された。

「そのとき言われたのは、避難は3日間ということだったわ。それが結果的には永遠にということになったわけね」 その後彼女は首都キエフの南、Obukhiv という村の国営農場で働く土地を与えられた。水道の来ていないその地に、彼女と夫のミハイルは簡素なコンクリートの家を建てた。彼女は現在、同じ家に娘のイレーナ一家とともに暮らしている。ヤギ、豚、にわとり、そして牛を飼っている。

夫のミハイルは13年前に肺がんで亡くなった。娘のイレーナは事故が起きた1986年当時、13歳だった。その後血管系疾患に悩まされてきたが、ごく最近、長い間の認められなかった原発事故との関連がようやく正式に認められた。

キッチンで手造りチーズの形を整えながらマリアは言った、「決してお金持ちなんかじゃないけど、私たちは幸せよ」 彼女自身は甲状腺疾患と心臓病、それに高血圧を患っている。彼女によると事故の起きた2ヶ月後、1986年の6月に診察してもらったとき、医者から放射線被ばくによる疾患という診断を受けたのだそうだが、当時の記録は没収されてしまって手元にないという。彼女は本来彼女が得られるはずの年金額がいくらなのかということについては、よく分かっていない。しかし、その金額がいくらであれ、きちんと全額受け取っていないということだけは確かだと信じている。

そういうわけで、今年の3月のある日、彼女はキエフにあるチェルノブイリ・ユニオンの事務所を訪れた。同じような目的でそこを訪れている人たちが何人もいた。

皆、政府に対抗するための法的手段についてアドバイスを求めにやってきているのだ。しかし誰も楽観はしていない。実際のところ政府は、元々満額支払っていない年金の支給額をさらに減額しようと計画している。

チェルノブイリ・ユニオンの代表、アンドレイエフ氏は言う、「まったく許しがたい卑劣なことがここでは行われようとしているんだ。世界中の人々が福島で起きている危機に注目しているこのときに、しかもその現場で勇敢に働く作業員たちに対して惜しみない賞賛の声をあげている、このときにだ」

「ウクライナの子供たちに関するチェルノブイリ委員会」を率いるスベトラーナ・プロツキ―さんによると、政府から提供されるはずの資金が今年は未だに支払われていないという。彼女の夫は1986年、事故の直後、三日間だけチェルノブイリで作業に従事したことがあるという。それは3分間で交代するシフトを組んだ危険な作業現場だった。翌年の1987年にはさらに10日間、現場で働いた。その夫は、最近脳卒中で倒れて、半身不随になった。彼女自身は2000年に甲状腺の摘出手術を受けた。医師はチェルノブイリとの関係は認められない、と否定した。

様々な発病とチェルノブイリとの因果関係を究明するのは極めてやっかいで困難なことだ。現場で働いた作業員たちは年々年老いていく。しかもウクライナの社会自体がそれほど健康的なわけではい。ある避難者は当初移住させられた先、Zaporozhye市はひどい公害をまき散らす工業都市だったので、そのままそこにとどまっていたら、今よりずっと健康を害していたに違いないと語った。

最近発表された西側研究者の研究を基にした国連の報告書によると、約6000件の甲状腺がんについて、チェルノブイリとの関連性が認められるが、他の疾患については確たる因果関係を示す証拠は得られていないという。しかしながら、ロシア、ウクライナそしてベラルーシの研究者たちによる調査では、当時の作業員たちの間では平均よりも高い頻度で高血圧症、脳卒中、血管疾患そして(悪性ではない)甲状腺疾患がみられるという。

不確実性は色あせながらも、徐々に弱まっている。

Kosachivka村は避難区域のちょうど外側に位置する。村の家々のほとんどは放棄され多くの村人が村を離れた。なぜなら、その地域もある程度は汚染されたからだ。今もそこに残って暮らす400人ほどの住人は、汚染されていない食べ物を購入する費用の助けとして、政府から一人当たり月に20セントの補助を受け取っている。

旧式のオートバイで走り回りながら、近くの陸軍の実弾射撃練習場で、戦車の使用済み薬莢を広い集めるウラジミール(54歳)は、「政府の奴らはおれたちがみんな、1日でも早く死んで全員いなくなってしまえばいいと思っているのさ」と言う。

町全体が放棄され、今ではすっかり雑草が生い茂っている、かつてのチェルノブイリのベッドタウン、Pripyatの近くには、もっと恐ろしい場所がある。そこはかつてKopachiという名の村だった。ウクライナ語でkopachiとは、偶然にも「墓掘り人」という意味をもつ。1991年に、そのKopachiの村の家は一軒も残さず全てが地中に埋められた。放射線による汚染があまりにひどかったためだ。すべてが埋め尽くされた後には、第二次大戦当時、この地で激しい戦闘を戦った兵士たちを称える記念像と幼稚園の建物だけが残された。

記念像の額には「誰も忘れはしない。何も忘れられることはない。」という言葉が記されている。しかしながら、チェルノブイリ事故のせいで、ここにはこのことを覚えている住人は誰もいない。

englundw@washpost.com

© 2011 The Washington Post Company

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At Chernobyl, a warning for Japan
By Will Englund, Sunday, April , 9:05 PM

CHERNOBYL, Ukraine ? Forbidding under a cold, gray sky, the dead atomic power plant here is a living enterprise.

The explosion that struck 25 years ago this month, in the world’s worst nuclear accident, set in motion a major undertaking that today bears on the life of the entire country. It is a model, or a warning, for what could await Japan. The crisis at the Fukushima nuclear plant will at some point be contained ? but then there begins a national project from which there is no exit strategy.

Though the turbines are still, and cranes dangle above two unfinished reactors, just as they have for the past 25 years, too radioactive to be moved anywhere else, this is not a ghost town. Trains arrive on freshly laid tracks, workshops in an un-Soviet shade of blue dot the grounds and steam billows from the chimney of a new gas-fired heating plant that sends hot water throughout the complex.

About 3,000 people work here, in decontaminated areas, maintaining and decommissioning the plant. An additional 4,000 work nearby, providing security in the 19-mile-deep exclusion zone ? from which residents were evacuated and where entry is possible only with a permit. (The Fukushima zone has a radius of 12 miles.) Exclusion zone workers also handle water-management and forest-fire-suppression duties, part of the never-ending effort to keep contamination from spreading.

And beyond the exclusion zone lies the vast social structure of evacuees, former emergency workers and their families, farmers whose dwindling villages are contaminated but habitable ? survivors, many in ill health, battling an implacable government for the care and assistance they believe they deserve.

“I so much hope the Japanese liquidators will be treated better than we were,” said Yuri Andreyev, who was a chief engineer at Chernobyl and now heads the Chernobyl Union, an umbrella group of advocacy organizations.

In its particulars, the Chernobyl disaster differs from Fukushima’s. A badly executed test, rather than a tsunami, led to the explosion at Chernobyl. Open to the air, a graphite fire burned for 10 days, spewing huge amounts of radioactive material; at Fukushima, with a different type of reactor, that couldn’t happen.

But the significance of Chernobyl for Japan lies in the question of what happens next. Even if the scope of contamination is smaller, Fukushima will demand of the Japanese a commitment of unforeseeable dimensions.

“My wife told me, you know the sarcophagus better than you know your own apartment,” said Grigory Panchuk, who until he retired worked to maintain the tomb encasing Reactor 4.

Panchuk lives in Slavutych, a planned community across the Dnieper River from Chernobyl. With its wind-whipped and featureless plaza, it is a model of late Soviet urban planning ? except that in place of the usual war memorial stands one to the 30 workers who died after the April 26, 1986, explosion.

Slavutych residents commute by train to the power station. As they arrive, they pass the wide cooling pond, where pumps run full time to keep the water level above dangerously contaminated sediments. Farther on, they should soon be seeing a new sarcophagus.

Panchuk has a ready smile, but he is an unhappy man. Unable, at 60, to work because of poor health, he hasn’t received the full pension he is entitled to as a Chernobyl veteran with a related disability, which in his case is thyroid disease. So like thousands of others, he is going to court to try to make the government pay what it owes him.

The government fights these cases. It says it has no money. About 130,000 people were evacuated from the exclusion zone, and they are entitled, in theory, to an array of benefits. So, too, are those who responded to the accident ? the liquidators ? and people in villages just outside the exclusion zone.

‘One day we’ll lie down and die. And that’s it.’

Even if money were not an issue, other realities would be the same. Definitions have to be drawn up, medical examinations pursued, year after year, and distinctions made between the natural effects of aging and the consequences of radiation exposure. The worst issues don’t necessarily appear right away: The steepest rise in thyroid cancer in neighboring Belarus came nearly two decades after the explosion.

Panchuk tends to believe that the Japanese will do a better job of it: that the government will uphold its promises, that people won’t be deprived of their due, that corruption won’t warp the entire system.

Maria Krivolapova, 61, worked in a pig-iron plant near Chernobyl. Her husband, Mikhail, was at the power station. After the accident, she loaded sand into helicopters that were trying to put out the fire and she cooked for the crews. The pilots had reported directly from the war that the Soviets were fighting in Afghanistan. She saw one pilot vomit as he stumbled out of his chopper, then fall to the ground.

After eight days, they were ordered to evacuate.

“They told us it would be for three days, and the result was forever,” she said. She was assigned to work on a state farm in a village called Obukhiv, south of Kiev, the capital. She and Mikhail built a rough concrete house, without running water, and she lives there today with her daughter Yelena and her family. They keep goats, pigs, chickens, a cow.

Mikhail died of lung cancer 13 years ago. Yelena, who was 13 in 1986, has a vascular disease that state doctors only recently affirmed as Chernobyl-related, after years of denial.

“We’re not rich, but we’re happy,” Maria said in her unfinished kitchen as she wrestled a batch of her homemade farmer’s cheese into shape. She has thyroid disease, heart disease and high blood pressure. She said she was diagnosed with radiation sickness in June 1986 but her medical records were taken from her. She doesn’t know how much of a pension she is supposed to receive, but she knows she isn’t receiving it.

So one day in March found her in Kiev, at the cramped offices of the Chernobyl Union. Others were there on the same mission: Tatyana Kirilchuk, 53, thyroid disease; Galina Dubrova, 55, who along with her husband and five grown children has thyroid disease, as well as liver and vascular ailments; Tamara Perebeiniz, 62, thyroid disease; Lyudmila Vinokur, 62, thyroid disease. Perebeiniz and Vinokur have disabled husbands at home.

They had come for legal help against the government. They were not optimistic.

In fact, the government plans to cut the benefits that it hasn’t been fully paying anyway.

“There is indignation everywhere,” Andreyev said. “They’re doing this even as the whole world is watching the disaster at Fukushima, and admiring the work of the liquidators there.”

Svetlana Protsyk is head of Ukraine’s Children of Chernobyl committee. The government is supposed to provide finances but has made no payments this year, she said. Her husband was at Chernobyl for three days in 1986, working three-minute shifts as a liquidator. He was back for 10 days in 1987. He was recently paralyzed on one side by a stroke. Her thyroid was removed in 2000. Doctors deny that her health problem is related to Chernobyl.

The question of Chernobyl’s connection to illness is a thorny one. The liquidators are an aging cohort, and Ukraine is not a healthy society. One resident of Slavutych, Lyudmila Leshkovych, said her health might be worse if she had stayed in the heavily polluted industrial city of Zaporozhye to which she was originally evacuated.

A recent United Nations report, drawing on studies by Western researchers, said that 6,000 cases of thyroid cancer could be linked to Chernobyl but that evidence regarding other diseases is inconclusive.

Russian, Ukrainian and Belarusan researchers, however, say their studies show increased incidence of high blood pressure, stroke, vascular disease and non-malignant thyroid diseases among liquidators.

The uncertainty is wearing, though it fades.

“One day we’ll lie down and die,” Leshkovych said. “And that’s it.”

‘They just want people to die off quicker’

The village of Kosachivka stands just outside the exclusion zone. Most of its houses are abandoned. Because it was moderately contaminated, its 400 remaining inhabitants receive government assistance ? 20 cents a month ? to enable them to buy “clean” food.

“They just want people to die off quicker,” said Vladimir Stepanyets, 54, who spends his time tinkering with an old motorcycle and collecting spent tank shells from a nearby army firing range.

Near Pripyat ? the abandoned and now overgrown dormitory city for Chernobyl, where moss grows on the central square and the wind thrums through the rusting Ferris wheel ? lies a more haunting place. It was once the village of Kopachi, which happens to mean “Gravedigger” in Ukrainian. Every house there was buried in 1991 because of contamination. When Gravedigger was interred, only a nursery school was left standing, with a memorial to the Soviet soldiers and the fierce battles they fought here in World War II.

“No one forgets. Nothing is forgotten,” reads the plaque on the memorial. But because of Chernobyl there is now no one here to remember.

englundw@washpost.com

© 2011 The Washington Post Company
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