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『安全神話』が原発危機を招いた

「『安全神話』が原発危機を招いた」 ニューヨークタイムズ記事、2011年6月24日
June 24, 2011
‘Safety Myth’ Left Japan Ripe for Nuclear Crisis
By NORIMITSU ONISHI

日本海に面した石川県の志賀原子力発電所に併設された原子力発電所PR施設、「アリス館志賀」では「不思議の国のアリス」のキャラクターを使って原子力エネルギーの長所や利点をほめそやしている。

「大変だ、大変だー」、最初に登場する白ウサギのセリフは、「アリス、電気が足りなくなっちゃうよ!」というものだ。

次に現れるドードー鳥のロボットはくるりと身体を回して、アリスと入場者に、原子力という「切り札」があるんだよ、とのたまう。原子力エネルギーはクリーンで、安全で、しかもプルトニウムとウランを再処理すればまたエネルギーとして使える、再生可能エネルギーなんだと説明が続く。

アリスはそれを聞いて「わー、すごい、そんなこともできるんだ! 資源のない日本にぴったりだわ!」と声をあげる。

過去何十年もの間、国民に対して原子力発電の安全性と必要性を納得させるために、日本の原子力関係者は大変な費用と労力を費やしてきた。電力会社はおとぎ話のキャラクターなどを利用した贅沢なPR施設を建設し、観光客まで呼びこんできた。官僚たちは原子力発電所の安全性を宣伝するという目的だけのために様々な組織や団体を作り、あらゆる手段を通じて宣伝活動を行ってきた。政治家たちは政府が検定する学校教科書の中に、原子力発電についての好意的な見方を挿入するよう圧力をかけてきた。

その結果産まれたのが「安全神話」、つまり、日本の原子力発電所というのは絶対に安全だ、という信仰だ。西欧諸国が原子力発電から距離を置こうとする中で、日本だけが一意専心、ただひたすら原子力発電に邁進してきたのだ。

世界で唯一の被爆国である日本なのに、なぜ原子力発電に対してはこれほどまでに受容的なのか、そこにはこの「安全神話」が深く関わっている。スリーマイル島やチェルノブイリでの事故もほとんど問題にされなかった。今回の福島第一原発の事故に際してさえ、原発に対する反対行動は日本よりも欧米の方が強いのだ。

福島での災厄についてその原因究明が進められる中、今やまったく非合理的とみなされるようになったこの「安全神話」を、信じていたいという国民的心理傾向の深層にまで掘り下げて検討しようという人々が現れ始めた。日本の原発は絶対に安全だという広く行き渡ったこの信仰のせいで、日本の電力会社や規制当局は適切な安全措置を講じることや緊急作業用ロボットの開発などを怠ってきたと、専門家や政府関係者は認める。

原子力政策を所管する経産省の海江田大臣は6月20日月曜日にウィーンで開かれたIAEA総会の記者会見で、「日本にはいわゆる『安全神話』というものがありまして、日本の原子力発電に関する技術力について、非合理的なまでに自信過剰であったとうことは事実であります」と述べた。

その結果、日本の原子力産業界の「安全についての考え方はまことにお粗末な根拠のもとに成り立っていた」と海江田大臣は言う。

日本の政府というのは、国民的信仰というものを創り出すために、広報宣伝そして教育活動を全力挙げて行うということを、過去にもおこなったことがある。その最も目覚ましい例は第二次世界大戦中に見られた。一方、原子力エネルギー政策は、戦後最大の国家目標である経済成長を下支えするため、そしてエネルギー自給率を高めるという夢を実現するために、強力に推進されてきたものである。しかし、3・11の不幸が長年にわたって慎重に作り上げられてきたこの神話を雲散霧消させてしまった今日、人々は福島で起こったことについて、原子力ムラの関係者を非難する声をあげるようになってきた。常日頃、政治には無関心な人が多いこの国で、原発反対の数万人規模のデモが頻繁に行われている。若者たちの間では、様々なソーシャルメディアの手段を使って人々に呼びかけ、集会やデモを組織している。しかしこれらの動きは新聞やテレビという大手マスコミからは実質的に無視されている。

「ずっとウソだった」という歌がある。この歌は今や原発反対を訴える人々のテーマソングになっていて、多くの集会で歌われ、またインターネットを通じてあっという間に拡がって、日本人のこの問題についての怒りを表現する一つの手段となっている。この歌の作者で有名なミュージシャンである斉藤和義氏は、去年資生堂のコマーシャルソングとして作った「ずっと好きだった」という曲の替え歌として、この曲を作った。斎藤氏のこの歌がユーチューブや他のサイトにアップされると、瞬く間に広まって行ったのだ。

♪♪
この国を歩けば原発が54基
教科書もCMも言ってたよ安全です

ずっとウソだったんだぜ やっぱバレてしまったな
ほんとウソだったんだぜ 原子力は安全です
♪♪

「備えなしで緊急事態に直面」

福島第一原子力発電所が津波に襲われて冷却システムがダウンした直後の数日間、官邸と東電の間では原子炉に海水を注入するかどうか、またどのようにしてそれを実行するかということについて激論が戦わされていた。

原子炉に近づくことさえ危険なほど放射線レベルが上昇しているという事態に直面して、当局者たちはの動揺は激しかった。警察がデモ隊を排除するための放水車を原子炉建屋に向けて放水させたり、自衛隊のヘリコプターを飛ばして、くみ上げた水を空から建屋にかけようとしたりした。これは強風に流されてほとんど目標を外す結果となった。松本健一内閣官房参与によれば、これは実際上の効果を狙ってというよりは、苛立ちを募らせる国民とアメリカ政府に対して、やるべきことはすべてやっているということを示すための、「サーカスまがいのパフォーマンス」に過ぎないものだったという。

ここで明らかになったことは、日本では、このような事故が起きた場合に必要とされる重機など、基本的な緊急対策用機器類が用意されていなかったということである。そしてこのことが、政府の当初の姿勢とは異なって、海外からの支援を要請しなければならない羽目に陥ったことの原因だ。国を挙げて技術力を誇りにしている日本にとって、3月31日は面目を失う事態が起こった日だった。その日、1号機建屋に90トンもの水を注入するために、日本にとって原発関連技術の輸出先である中国から、61mの長さをもつ放水ポンプ車を急きょ輸入せざるを得なかったのだ。しかし、他のどんなものよりも、この現場で使用可能な緊急作業用ロボットが日本に存在していなかったという事実ほど、人々を困惑させたことはない。

日本はロボット技術において、世界の最先端を走っている国だ。各地の工場で使用されている工業用ロボットの数は世界最大である。日本のヒト型ロボットは、二本足で歩いて走ることができる。歌って踊ることも、さらにバイオリンを弾くことさえ出来るのだ。それなのに、どうして福島には緊急作業用ロボットはなかったのか?

電力会社と政府は、原発事故は起こらないと信じ込んでいたため、そのような技術開発は不要だとして、それら緊急作業用ロボットの開発に反対してきたから、というのがその答えだ。

東京大学の元学長で工学博士の吉川弘之氏(77)は、「電力会社は、事故が起きた時のことを想定したロボットなどは必要ないと言うんだね。むしろそんなものを導入すれば、事故が起こるんじゃないかという恐怖を逆に煽ってしまうことになる。だから導入できないんだと言ってたんだな」

1979年のスリーマイル島での原発事故より以前に、ロボット工学の専門家である吉川氏ら日本の研究者たちは、原発事故対策に使える緊急用ロボットの製作に取り掛かっていた。そしてムーティと名付けた試作機の完成にまでこぎつけた。ムーティは高い放射線レベルの下でも作業可能で、がれきの山の上でも自力走行可能な能力を備えていた。

しかしそのロボットは結局試作機どまりで、実際に本格生産されるには至らなかった。こうして日本は福島での原発事故の後始末のために、アメリカのiRbot社からロボットの提供を受けざるを得なくなったのだ。iRobot社は自動掃除機、ルンバ アイロボットの製造元として有名な会社だ。24日の金曜日になって東電は初めて、急きょ必要な改造を施された日本製のロボットを現場に投入した。しかし正常に作動せず、作業員によってすでに現場から引き揚げられている。

吉川博士は、ロボットの開発や導入を拒否したことは、メインテナンス技術の改良や新規投資に対する原子力業界の消極的姿勢が一因だと指摘する。

「『安全神話』というのは、単に中身が空っぽのお題目に過ぎないということではなくて、それは新しい技術の導入による進歩というものを拒む、そういう思考パターンの元になっているものなのだ」と吉川氏は言う。同氏は現在、独立行政法人科学技術振興機構研究開発戦略センターのセンター長をつとめている。

「新たな時代へ」

専門家によると、原子力エネルギーの利用について日本の総力を結集しようという努力は、原子力時代の幕開けの頃にまでさかのぼることができるという。

1945年8月、若き海軍士官で後に日本有数の実力を備えた総理大臣となった中曽根康弘は四国の高松にいた。1960年代に書いたエッセイの中で、その日のことを中曽根氏は次のように書いている。「私が戦争中海軍に動員されて高松にいた時、 広島の原爆雲を見た。この時私は、次の時代は原子力の時代になると直感した」

石油をはじめとする天然資源の欠乏により、第二次世界大戦に突入し、そのあげく敗北を喫した日本。中曽根氏をはじめ多くの日本人にとって、原子力エネルギーは、日本がエネルギーの自給自足体勢を確立するための聖なる杯としてあがめられる存在となったのだ。原子力技術を手に入れることは実質的に核兵器開発への可能性をも開くものであった。実際1970年代に中曽根氏が防衛大臣をつとめた当時、その研究は密かに行われていた。

原子力関連技術が核兵器開発へと繋がり得ること、そしてそれが米国と密接な関係を持っているということ、これこそが、いわゆる左派政治家や学者、知識人たちが激しい反対運動を起こした理由である。こうした動きに対抗するように、原子力推進側が力を注いだのが原子力発電所の絶対安全性を強調する事であった。このようにして原発推進派と反対派がそれぞれ両極端の立場をとって、にらみ合ったままという状況が今日まで続いてきたのである。

東電をはじめとする電力会社および経産省は、原発の安全性を強調するための広報宣伝活動や教育活動に、これまで何億ドルという大金を使ってきた。経産省の担当部署では今年度そのような費用に充てるための予算として千二百万ドルを計上しているという。原子力発電立地対策・広報室長の杉本孝信氏は、これまで経産省が原発についてその安全性「だけを強調」してきたかもしれないことについて、「遺憾に思っている」と述べた。

政府および電力各社はこれまでに原発の安全性を宣伝するための様々な組織や団体を作ることに熱心であった。そのような団体の中の一つ、(財)日本原子力文化振興財団はその基金のうち、40%を監督官庁である経産省から、そして残りの60%を電力各社からの拠出金によってまかなっている。この団体は原発推進のための様々な情報提供に加え、各地の大学や高校・中学校などに専門家を派遣して、無料で講演会などを催している。

同財団の常勤専務理事、関西電力出身の横手光洋氏は、そのような講演会の場で専門家たちは、原子力発電所は絶対に安全であるというメッセージを伝えてきたということを認めた。そして、彼の勤務するこの財団が「安全神話」の醸成に寄与してきたことを「遺憾に思う」とのことであった。

何かにつけて、ほぼ条件反射的に政府のことを信頼する傾向があるこの国においては、日本の原発は絶対安全だという政府のご託宣は世界が原発危機に震撼している時でさえも有効であった。北日本の小さな漁村、青森県の大間町では現在原子力発電所が建設中であるが、その建設計画を検討している1980年代において、チェルノブイリの原発事故が起こった時ですら、地元住民にはまったくそのことの影響は及ばなかった。

大間の漁業組合員の一人、高橋勝氏(67)は、次のように語った。「政府が言ってることを信じる以外にどうすればいいっていうのさ? 政府から、わしら、原発は絶対安全だって、言われたんだから」

「広報宣伝活動の強化」

チェルノブイリ事故の後、原発推進勢力は日本の国民が原発の安全性をこれまで通り信じ続けるように腐心した。

電力各社はこぞって原発敷地内に、「原子力発電所PR館」と名付けられた建物を新設または改築した。チェルノブイリ以前にすでにあったそのようなPR施設は、原子力発電所の構造や技術に関心をもっている一般成人男性を対象としたシンプルな施設であったと、これら施設を調査した天理大学の人類学者、住原則也教授は言う。訪れた人たちは揃いの作業服に身をまとった男性の係員に案内されて、壁に貼られた掲示板などの展示物に沿って説明を受けていたという。

しかしチェルノブイリ事故以来、施設のあり様は、苦心して作り上げたテーマパークのように変貌した。調査の結果、原発や放射能について最も不安と心配を抱いているグループ、すなわち若い母親たちを対象とした、彼女たちに安心感を与えるための施設に変わっていったのだと住原教授は指摘する。施設のガイド役として新たに雇用されたのは、彼女たち自身、小さな子供をもっていそうな年頃の若い女性たちであった。そのような女性ガイドの存在自体が、訪問者に対して安心感をもたらすのに役立つものとされた。

同じく青森県にある東通原子力発電所には国内で最新の原子力発電所PR施設の「トントゥビレッジ」がある。ここはトントゥの森に住む小人たちをメインキャラクターにしたテーマパークだ。東京電力とともにこの施設を運営する東北電力の広報担当者、及川芳樹氏によると、ここでは子供たちや家族連れの訪問者に楽しんでもらうために、有名アニメキャラクターのイベントなども開かれるという。

不思議の国のアリスが原子力という不思議な世界を探検する、冒頭に紹介した「アリス館志賀」では、去年一年間で10万人の来館者があったいう。人気キャラクターの一つのイモムシは、放射能については心配しなくて良いのだ、とアリスに教え諭し、チェシャ猫は燃料の原料について解説する。 アリスはウサギ穴に落っこちてい行く代わりに、身体が小さくなるキャンディーを食べて、志賀原子力発電所の縮尺模型の中に入って行く。

「アリス館志賀」のガイド役をつとめる本田明日香さん(27)は、福島で事故が起こってからというもの、来館者から原発の安全性に関して質問が出るようになったと言う。その多くは妊娠中の女性からのもので、お腹の中の赤ちゃんに対して放射能がどんな影響を及ぼすのか不安に思っているというのだ。しかし、本田さんをはじめとする、館内で働く20代後半の同僚の女性たちの存在自体が、そのような母親たちに安心感をもたらしているようだ。

原発推進派の人々たちは政府の検定を受ける学校教科書の記述内容においても、原発の安全性に疑問を抱かせるような記述を少なくするよう眼を光らせている。国会でこのような活動を主導したのは、1998年、東京電力の副社長から参議院議員になった加納時男氏だ。加納氏は今回我々の取材に応じることを拒否した。同氏は昨年の参議院議員選挙に出馬せず、政界を引退した後、東京電力に顧問として復帰している。

2004年、加納議員を先頭にした原発推進派議員たちの圧力によって、文科省は、検定中の教科書の記載内容を変更するよう指示を下した。ある中学生用の社会科の教科書で、ヨーロッパでは反原発運動が活発になっているという記述があったのだが、その部分が削除された。また、別の教科書ではチェルノブイリ事故に関する記述が、本文から脚注に格下げされた。

このような努力に効果があったことは、福島の原発事故の後でさえも確認する事ができる。この国の世論調査結果によると、原発を支持する意見は若者達の間で一番高いのだ。

福島第1原発事故の原因究明を担う「調査・検証委員会」のメンバーであり、日本の原子力発電の歴史に関する著書がある吉岡斉、九州大学副学長は、原発推進勢力の有力者たち自身が自分たちの作った「安全神話」を信じ込んでしまって、これはちょうど蜘蛛が「自分の張った網にからめ捕られるように」なってしまったようなものだと語った。

吉岡教授によると、津波の影響を受けて全電源喪失が起きてしまった後、東電が、必要な緊急対策を実行する事が出来なかった最大の理由がそこにあるという。また別の専門家は、このように原発推進の中心メンバーたちの中にまで「安全神話」が蔓延していたということが、結果としてではあるが、日本の原子力発電所の危機管理体制の弱みを歴然と明らかにすることを可能にしたと指摘する。日本は、「tsunami」という言葉を世界に提供した国であるにもかかわらず、福島第一発電所やそのほか、国内のどこの原発においても、有効な津波対策はほとんどとられていないのである。

「アリス館志賀」では、ドードー鳥もイモムシも、津波のことについてアリスに語りかけることは無い。

Kantaro Suzuki contributed reporting.

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The New York Times
June 24, 2011
‘Safety Myth’ Left Japan Ripe for Nuclear Crisis
By NORIMITSU ONISHI

SHIKA, Japan ― Near a nuclear power plant facing the Sea of Japan, a series of exhibitions in a large public relations building here extols the virtues of the energy source with some help from “Alice in Wonderland.”

“It’s terrible, just terrible,” the White Rabbit says in the first exhibit. “We’re running out of energy, Alice.”

A Dodo robot figure, swiveling to address Alice and the visitors to the building, declares that there is an “ace” form of energy called nuclear power. It is clean, safe and renewable if you reprocess uranium and plutonium, the Dodo says.

“Wow, you can even do that!” Alice says of nuclear power. “You could say that it’s optimal for resource-poor Japan!”

Over several decades, Japan’s nuclear establishment has devoted vast resources to persuade the Japanese public of the safety and necessity of nuclear power. Plant operators built lavish, fantasy-filled public relations buildings that became tourist attractions. Bureaucrats spun elaborate advertising campaigns through a multitude of organizations established solely to advertise the safety of nuclear plants. Politicians pushed through the adoption of government-mandated school textbooks with friendly views of nuclear power.

The result was the widespread adoption of the belief ― called the “safety myth” ― that Japan’s nuclear power plants were absolutely safe. Japan single-mindedly pursued nuclear power even as Western nations distanced themselves from it.

The belief helps explains why in the only nation to have been attacked with atomic bombs, the Japanese acceptance of nuclear power was so strong that the accidents at Three Mile Island and Chernobyl barely registered. Even with the crisis at the Fukushima Daiichi nuclear power plant, the reaction against nuclear power has been much stronger in Europe and the United States than in Japan itself.

As the Japanese continue to search for answers to the disaster at the Fukushima Daiichi plant, some are digging deep into the national psyche and examining a national propensity to embrace a belief now widely seen as irrational. Because of this widespread belief in Japanese plants’ absolute safety, plant operators and nuclear regulators failed to adopt proper safety measures and advances in technology, like emergency robots, experts and government officials acknowledge.

“In Japan, we have something called the ‘safety myth,’ ” Banri Kaieda, who runs the Ministry of Economy, Trade and Industry, which oversees the nuclear industry, said at a news conference at an International Atomic Energy Agency meeting in Vienna on Monday. “It’s a fact that there was an unreasonable overconfidence in the technology of Japan’s nuclear power generation.”

As a result, he said, the nuclear industry’s “thinking about safety had a poor foundation.”

Japan’s government has concentrated its propaganda and educational efforts on creating such national beliefs in the past, most notably during World War II. The push for nuclear power underpinned postwar Japan’s focus on economic growth and its dream of greater energy independence. But as the carefully fostered belief in nuclear safety has dissipated in the three months after the March 11 disaster, Japanese are increasingly blaming the nuclear establishment for Fukushima. In a politically apathetic country, tens of thousands have regularly held protests against nuclear power. Young Japanese have used social media to organize and publicize demonstrations that have been virtually ignored by major newspapers and television networks.

A song, “It Was Always a Lie,” has become an anthem at the protests and a vehicle for Japanese anger on the Internet. Its author, a famous singer named Kazuyoshi Saito, wrote it by changing the lyrics of a love ballad, “I Always Liked You,” that he composed last year for a commercial for Shiseido, the cosmetics giant. Mr. Saito’s performance of the song, surreptitiously uploaded on YouTube and other sites, has gone viral.

“If you walk across this country, you’ll find 54 nuclear reactors/School textbooks and commercials told us they were safe,” the song goes.

“It was always a lie, it’s been exposed after all/It was really a lie that nuclear power is safe.”

Caught Unprepared

In the days after a giant tsunami knocked out Fukushima Daiichi’s cooling system, the prime minister’s office and the Tokyo Electric Power Company, or Tepco, the plant’s operator, wrestled over whether to inject cooling seawater into the reactor buildings to prevent catastrophic meltdowns, and then over how to do it.

With radiation levels too high for workers to approach the reactors, the Japanese authorities floundered. They sent police trucks mounted with water cannons ― equipment designed to disperse rioters ― to spray water into the reactor buildings. Military helicopters flew over the buildings, dropping water that was scattered off course by strong winds, in a “performance, a kind of circus” that was aimed more at reassuring an increasingly alarmed Japanese population and American government, said Kenichi Matsumoto, an aide to Prime Minister Naoto Kan.

What became clear was that Japan lacked some of the basic hardware to respond to a nuclear crisis and, after initial resistance, had to look abroad for help. For a country proud of its technology, the low point occurred on March 31 when it had to use a 203-foot-long water pump ― shipped from China, an export market for Japanese nuclear technology ― to inject 90 tons of fresh water into the No. 1 reactor building. But perhaps more than anything else, the absence of one particular technology was deeply puzzling: emergency robots.

Japan, after all, is the world’s leader in robotics. It has the world’s largest force of mechanized workers. Its humanoid robots can walk and run on two feet, sing and dance, and even play the violin. But where were the emergency robots at Fukushima?

The answer is that the operators and nuclear regulators, believing that accidents would never occur, steadfastly opposed the introduction of what they regarded as unnecessary technology.

“The plant operators said that robots, which would premise an accident, were not needed,” said Hiroyuki Yoshikawa, 77, an engineer and a former president of the University of Tokyo, Japan’s most prestigious academic institution. “Instead, introducing them would inspire fear, they said. That’s why they said that robots couldn’t be introduced.”

Even before the accident at Three Mile Island in 1979, Mr. Yoshikawa, a robotics expert, and other researchers began building emergency robots capable of responding to a nuclear accident, eventually producing a prototype called Mooty. The robots were resistant to high levels of radiation and capable of surmounting mounds of rubble.

But the robots never made it into production, forcing Japan, in the aftermath of Fukushima, to rely on an emergency shipment of robots from iRobot, a company in Bedford, Mass., more famous for manufacturing the Roomba vacuum. On Friday, Tepco deployed the first Japanese-made robot, which was retrofitted recently to handle nuclear accidents, but workers had to retrieve it after it malfunctioned.

The rejection of robots, Mr. Yoshikawa said, was part of the industry’s overall reluctance to improve maintenance and invest in new technologies.

“That’s why the safety myth wasn’t just an empty slogan,” said Mr. Yoshikawa, now the director general of the Center for Research and Development Strategy at the Japan Science and Technology Agency. “It was a kind of mind-set that rejected progress through the introduction of new technology.”

Entering a New Age

The deliberate effort to rally Japanese behind nuclear power can be traced to the beginning of the atomic age, scholars and experts say.

In August 1945, Yasuhiro Nakasone, a young naval officer who would become one of postwar Japan’s most powerful prime ministers, was stationed in western Japan.

“I saw the nuclear mushroom cloud over Hiroshima,” Mr. Nakasone wrote in an essay in the 1960s. “At that moment, I sensed that the next age was the nuclear age.”

For many Japanese like Mr. Nakasone, nuclear power became a holy grail ― a way for Japan, whose lack of oil and other natural resources had led to World War II and defeat, to become more energy independent. The mastery of nuclear power would also open the possibility of eventually developing nuclear weapons, a subject that Japan secretly studied when Mr. Nakasone was defense minister in 1970.

It was precisely because of nuclear power’s possible link to nuclear arms and its close ties to the United States that left-leaning politicians, academics and intellectuals became fierce opponents. As a countermeasure, proponents of nuclear power stressed its absolute safety, so that each side struck extreme positions, a standoff that lasts to this day.

The nuclear establishment ― led by Tepco among the utilities and the Ministry of Economy ― spent hundreds of millions of dollars on advertising and educational programs emphasizing the safety of nuclear plants. The ministry’s division responsible for nuclear power has budgeted $12 million this year for those programs, said Takanobu Sugimoto, a division spokesman. Mr. Sugimoto said he “regretted” that the ministry might have “stressed only” the plants’ safety.

The government and the utilities encouraged the creation of many organizations that propagated the message of safety. One of the oldest, the Japan Atomic Energy Relations Organization, receives 40 percent of its financing from two ministries that oversee nuclear power and 60 percent from Japan’s plant operators. In addition to producing information promoting nuclear power, the organization sends nuclear power experts to speak at secondary schools and colleges, at no cost.

Mitsuhiro Yokote, 67, the executive managing director of the organization and a former nuclear engineer at the Kansai Electric Power Company, acknowledged that the experts conveyed the message that nuclear plants were absolutely safe. Mr. Yokote said he “regretted” that his organization had contributed to the safety myth.

In a country where people tend to reflexively trust the government, assurances about the safety of Japan’s plants were enough to reassure even those at greatest risk. In Oma, a fishing town in northern Japan where a plant is currently under construction, Chernobyl made no impression on local residents considering the plant back in the 1980s.

“What could we do but believe what the government told us?” said Masaru Takahashi, 67, a member of a fishing union in Oma. “We were told that they were absolutely safe.”

A Public Relations Drive

After Chernobyl, the nuclear establishment made sure that Japanese kept believing in safety.

The plant operators built or renovated the public relations buildings ― called “P.R. buildings” ― attached to their plants. Before Chernobyl, the buildings were simple facilities intended to appeal to “adult men interested in technical matters,” said Noriya Sumihara, an anthropologist at Tenri University who has researched the facilities. Male guides wearing industrial uniforms took visitors around exhibits consisting mostly of wall panels.

But after Chernobyl, the facilities were transformed into elaborate theme parks geared toward young mothers, the group that research showed was most worried about nuclear plants and radiation, Mr. Sumihara said. Women of childbearing age, whose presence alone was meant to reassure the visitors, were hired as guides.

In Higashidori, a town in northern Japan, one of the country’s newest P.R. buildings is built on the theme of Tonttu, a forest with resident dwarfs. The buildings also holds events with anime characters to attract children and young parents, said Yoshiki Oikawa, a spokesman for the Tohoku Electric Power Company, which manages the site with Tepco.

Here in Shika, more than 100,000 guests last year visited the P.R. building where Alice discovers the wonders of nuclear power. The Caterpillar reassures Alice about radiation and the Cheshire Cat helps her learn about the energy source. Instead of going down a rabbit hole, Alice shrinks after eating a candy and enters a 1:25 scale model of the Shika nuclear plant nearby.

Since the Fukushima disaster, visitors have started questioning the safety of nuclear power, said Asuka Honda, 27, a guide here. Many were pregnant women worried about the effects of radiation on their unborn children. But the presence of Ms. Honda and other guides, mostly women in their late 20s, seemed to reassure them.

The nuclear establishment also made sure that government-mandated school textbooks underemphasized information that could cast doubt on the safety of nuclear power. In Parliament, the campaign was led by Tokio Kano, a Tepco vice president who became a lawmaker in 1998. Mr. Kano, who declined to be interviewed for this article, returned to Tepco as an adviser after retiring from Parliament last year.

In 2004, under the influence of Mr. Kano and other proponents of nuclear power, education officials ordered revisions to textbooks before endorsing them. In one junior high school social studies textbook, a reference to the growing antinuclear movement in Europe was deleted. In another, a reference to Chernobyl was relegated to a footnote.

The effect could be seen in opinion polls that even after Fukushima have indicated that young Japanese are the strongest proponents of nuclear power.

The nuclear establishment itself came to believe its own safety myth and “became entangled in its own net,” said Hitoshi Yoshioka, an author of a book on the history of Japan’s nuclear power and a member of a panel established by the prime minister to investigate the causes of the Fukushima disaster.

He said that helped explain why, at Fukushima, Tepco failed to carry out emergency measures in case of a complete loss of power, which is what happened when the tsunami hit in March. Others have said that the nuclear establishment’s embrace of the safety myth also makes it possible to understand what, in hindsight, was the most glaring hole in the safety measures at Japan’s nuclear plants. In the country that gave the world the word tsunami, few measures were taken at Fukushima Daiichi or elsewhere to protect plants against the giant waves. Neither the Dodo nor the Caterpillar makes any mention of tsunamis to Alice.

Kantaro Suzuki contributed reporting.

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